ジュリー王朝
気になってしょうがない沢田研二さま、ジュリーについてのことをつづる。
井上堯之ギターを擱く7/7
FM岩手 ジュリーファン古賀徹塾長サウンドジャーキー「走り続けた50年ミュージシャン井上堯之ギターを擱く」7/7
DJ古賀徹塾長退職惜別企画
それぐらい音楽好きだし、ロック好きな方なので。
自分に一番やりたいサウンドをこれからも奏で続けてくれるとおもっています。
それが、発表される形で、まあ我々の前に顕われてくれるかはわかりませんですけれど。
でもそれでもいいじゃないか、井上堯之さんの好きなサウンドをやりつづけてほしい。
とにかく続けてほしいというのが、僕の感想です。
で、もし放送ででてくることがあったり、HPで情報があったらそれはやっぱり応援したいなぁと強くおもっています。
ぜひ、みなさんも井上堯之さんの足跡、今日はねほんと30分間という短い時間でまとめてぜんぜんまとめきれていないですけれども、改めてこういうサウンドをつくった人がいたんだとういことを確かめてもらって、そして日本のロックをつくった偉大な人であるということを覚えていてください。
BGMで井上堯之さん
元ザ・テンプターズ、PYGのドラマー 大口広司さんが25日東京都内の病院でお亡くなりになりました。謹んで御冥福をお祈りいたします
以上、DJ古賀徹塾長でした。
堯之さんは寒いとこいることわかったから安心だ。最後に大口さんの追悼もあって、なかなかでしょ。
DJ古賀徹塾長こそ、ふらっと居酒屋のとなりにいたら、ジョッキー一杯おごりますからね。
いつものDJ古賀徹塾長で、いてください。
新境地での、ご活躍を祈ってます。
おつかれさま。4kyu
DJ古賀徹塾長退職惜別企画
それぐらい音楽好きだし、ロック好きな方なので。
自分に一番やりたいサウンドをこれからも奏で続けてくれるとおもっています。
それが、発表される形で、まあ我々の前に顕われてくれるかはわかりませんですけれど。
でもそれでもいいじゃないか、井上堯之さんの好きなサウンドをやりつづけてほしい。
とにかく続けてほしいというのが、僕の感想です。
で、もし放送ででてくることがあったり、HPで情報があったらそれはやっぱり応援したいなぁと強くおもっています。
ぜひ、みなさんも井上堯之さんの足跡、今日はねほんと30分間という短い時間でまとめてぜんぜんまとめきれていないですけれども、改めてこういうサウンドをつくった人がいたんだとういことを確かめてもらって、そして日本のロックをつくった偉大な人であるということを覚えていてください。
BGMで井上堯之さん

元ザ・テンプターズ、PYGのドラマー 大口広司さんが25日東京都内の病院でお亡くなりになりました。謹んで御冥福をお祈りいたします
以上、DJ古賀徹塾長でした。
堯之さんは寒いとこいることわかったから安心だ。最後に大口さんの追悼もあって、なかなかでしょ。
DJ古賀徹塾長こそ、ふらっと居酒屋のとなりにいたら、ジョッキー一杯おごりますからね。
いつものDJ古賀徹塾長で、いてください。
新境地での、ご活躍を祈ってます。
おつかれさま。4kyu

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井上堯之ギターを擱く6/7
FM岩手 ジュリーファン古賀徹塾長サウンドジャーキー「走り続けた50年ミュージシャン井上堯之ギターを擱く」6/7
DJ古賀徹塾長退職惜別企画
2007年にワンマンライヴ、井上66全国ツアーを開始することになるんです。
11月に岩手、グローブというお店にきて演奏。これもね、私用事があっていけなかったんです。
たしか土曜日だったと思いますが私収録があって動けないんですごいくやしいおもいをしました。
行ったという方はすごいすばらしかったということを、耳にしました。
そして番組の冒頭でもお伝えしましたが、2009年1月6日公式サイトでプロとしての活動からは引退すると表明いたしました。
ええぇってちょっとびっくりした方がたくさんいたと思いますが、引退の理由、気になりますよね。
音楽活動に不完全感を抱いていた。まあ、中途半端な状態でステージにたつというのはお客さんにもすごい失礼にあたるという気持ちがあたるというのが強かったんだろうという気がします。
でも、プロとしての引退、えー残念でならないなぁもう、リリースとかもないのかと思ってしまいます。
ただ、べつに音楽活動ができる状態ということなので、仮にもしかしたらギター一本ひっさげて岩手来て、「おうちょっときたよぉ、 演奏するね」みたいな、かもしれませんし。
今年、夏、秋くらいにどっか飲み屋いって、となりに井上堯之さんいるかもしれないみたいなね。
でもそうなってくれるとみんなと一緒に音楽を楽しめるようになったといえるかもしれません。
だからこそ、プロ引退というのはすごい残念なことであるのですけれども逆に信じていることは音楽活動はやめないだろうと思っているのです。
これもいいですよ。
DJ古賀徹塾長退職惜別企画
2007年にワンマンライヴ、井上66全国ツアーを開始することになるんです。
11月に岩手、グローブというお店にきて演奏。これもね、私用事があっていけなかったんです。
たしか土曜日だったと思いますが私収録があって動けないんですごいくやしいおもいをしました。
行ったという方はすごいすばらしかったということを、耳にしました。
そして番組の冒頭でもお伝えしましたが、2009年1月6日公式サイトでプロとしての活動からは引退すると表明いたしました。
ええぇってちょっとびっくりした方がたくさんいたと思いますが、引退の理由、気になりますよね。
音楽活動に不完全感を抱いていた。まあ、中途半端な状態でステージにたつというのはお客さんにもすごい失礼にあたるという気持ちがあたるというのが強かったんだろうという気がします。
でも、プロとしての引退、えー残念でならないなぁもう、リリースとかもないのかと思ってしまいます。
ただ、べつに音楽活動ができる状態ということなので、仮にもしかしたらギター一本ひっさげて岩手来て、「おうちょっときたよぉ、 演奏するね」みたいな、かもしれませんし。
今年、夏、秋くらいにどっか飲み屋いって、となりに井上堯之さんいるかもしれないみたいなね。
でもそうなってくれるとみんなと一緒に音楽を楽しめるようになったといえるかもしれません。
だからこそ、プロ引退というのはすごい残念なことであるのですけれども逆に信じていることは音楽活動はやめないだろうと思っているのです。
これもいいですよ。
井上堯之ギターを擱く5/7
FM岩手 ジュリーファン古賀徹塾長ウンドジャーキー「走り続けた50年ミュージシャン井上堯之ギターを擱く」5/7
DJ古賀徹塾長退職惜別企画
不明箇所はひらがなにて表記すみません
そのほか、音楽以外でも、俳優としても活躍なさってましてごせいげんきわみのぎふうというのがあるんですが、ここではほういんぼうちゅうさい役で出演をしております。
それから2005年にはカーテンコールにやすかわしゅうへい役で出演しております。
このやすかわしゅうへい役には2006年全国映連賞男優賞受賞を受賞しているということです。
やっぱり、あのなんでしょうね、音楽をやっている方は音楽だけではなくだいたい、いろんなところに力を発揮する。
こういう俳優業はもちろん絵がうまいかたもいらっしゃるし、演劇やったり、なんか芸術をみがきをかけているっていうかなんか、連鎖反応ですべてがすばらしい方が多いようなきがします。
これは、勝手にいれてます。あしからず。
DJ古賀徹塾長退職惜別企画
不明箇所はひらがなにて表記すみません

そのほか、音楽以外でも、俳優としても活躍なさってましてごせいげんきわみのぎふうというのがあるんですが、ここではほういんぼうちゅうさい役で出演をしております。
それから2005年にはカーテンコールにやすかわしゅうへい役で出演しております。
このやすかわしゅうへい役には2006年全国映連賞男優賞受賞を受賞しているということです。
やっぱり、あのなんでしょうね、音楽をやっている方は音楽だけではなくだいたい、いろんなところに力を発揮する。
こういう俳優業はもちろん絵がうまいかたもいらっしゃるし、演劇やったり、なんか芸術をみがきをかけているっていうかなんか、連鎖反応ですべてがすばらしい方が多いようなきがします。
これは、勝手にいれてます。あしからず。
井上堯之ギターを擱く4/7
FM岩手 ジュリーファン古賀徹塾長サウンドジャーキー「走り続けた50年ミュージシャン井上堯之ギターを擱く」4/7
DJ古賀徹塾長退職惜別企画
不明箇所はひらがな表記にてすみません。勉強不足なり
ごめんなさい
十年ほどで、沢田研二さんとの共演には終止符をうちまして、その後、ハウウンドドック、五十嵐ヒロアキさん、佐藤隆さんなどの、新人発掘、育成と、ツイスト、松田優作さんのライヴの製作に力をそそぐようになります。
そして1987年作曲した「愚か者」あの近藤真彦さんの名曲です、が日本レコード大賞に輝いています。
そうだったんですね。
「愚か者」も日本のロックのサウンドがでてたんですが、なんか、気になるサウンドっていうがぁ、井上さんなんですよね。
ちっちゃいころに刷り込まれたっていうメロディがあるんでしょうね。
そして1993年から1998年にかけて、宇崎竜堂さんとともに、大人のロックを目指すべく宇崎竜堂&RUコネクションwith井上堯之というバンドが結成されます。
1999年かまやつひろしさん、堺正章さんとユニットsongフィルトルを結成し年末にはいぇいいぇいいぇいでオリジナル曲で第50回NHK紅白歌合戦に出場しているということです。
そのほか、音楽以外でも、俳優としても活躍なさってまして、ごせいげんきわみのぎふうというのがあるんですが、ここではほういんぼうちゅうさい役で出演をしております。
それから2005年にはカーテンコールにやすかわしゅうへい役で出演しております。
このやすかわしゅうへい役には2006年全国映連賞男優賞受賞を受賞しているということです。
やっぱり、あのなんでしょうね、音楽をやっている方は音楽だけではなくだいたい、いろんなところに力を発揮する。こういう俳優業はもちろん絵がうまいかたもいらっしゃるし、演劇やったり、なんか芸術をみがきをかけているっていうかなんか、連鎖反応ですべてがすばらしい方が多いようなきがします。
BGM時のすぎゆくままに
DJ古賀徹塾長退職惜別企画
不明箇所はひらがな表記にてすみません。勉強不足なり

ごめんなさい
十年ほどで、沢田研二さんとの共演には終止符をうちまして、その後、ハウウンドドック、五十嵐ヒロアキさん、佐藤隆さんなどの、新人発掘、育成と、ツイスト、松田優作さんのライヴの製作に力をそそぐようになります。
そして1987年作曲した「愚か者」あの近藤真彦さんの名曲です、が日本レコード大賞に輝いています。
そうだったんですね。
「愚か者」も日本のロックのサウンドがでてたんですが、なんか、気になるサウンドっていうがぁ、井上さんなんですよね。
ちっちゃいころに刷り込まれたっていうメロディがあるんでしょうね。
そして1993年から1998年にかけて、宇崎竜堂さんとともに、大人のロックを目指すべく宇崎竜堂&RUコネクションwith井上堯之というバンドが結成されます。
1999年かまやつひろしさん、堺正章さんとユニットsongフィルトルを結成し年末にはいぇいいぇいいぇいでオリジナル曲で第50回NHK紅白歌合戦に出場しているということです。
そのほか、音楽以外でも、俳優としても活躍なさってまして、ごせいげんきわみのぎふうというのがあるんですが、ここではほういんぼうちゅうさい役で出演をしております。
それから2005年にはカーテンコールにやすかわしゅうへい役で出演しております。
このやすかわしゅうへい役には2006年全国映連賞男優賞受賞を受賞しているということです。
やっぱり、あのなんでしょうね、音楽をやっている方は音楽だけではなくだいたい、いろんなところに力を発揮する。こういう俳優業はもちろん絵がうまいかたもいらっしゃるし、演劇やったり、なんか芸術をみがきをかけているっていうかなんか、連鎖反応ですべてがすばらしい方が多いようなきがします。
BGM時のすぎゆくままに
井上堯之ギターを擱くその3/7
FM岩手 ジュリーファン古賀徹塾長サウンドジャーキー「走り続けた50年ミュージシャン井上堯之ギターを擱く」3/7
DJ古賀徹塾長退職惜別企画
井上堯之さん、サウンドトラックを手がけながら、同時にジュリー、沢田研二のサポートとしてバックバンドをつとめるようになる。
これも、実は日本ではじめてのことらしくて一歌手の専属としてバンドがあるっていうのは日本で始めてなんだらしいですね。ロックコンボスタイルのバックバンド。
ねぇ、私はたぶんここに魅了されたんでしょうかね。
あの、私、いろんなところで、公言しておりますが、沢田研二の大ファンなんですよ。
はい。
幼稚園のときに好きになっているんですよ。
幼稚園の頃から、勝手にしやがれとか、憎みきれないろくでなしとかをいろいろ歌っていたんですよ。意味はわからないよ(笑
幼稚園だから、歌詞の意味はわかりませんけれど、あのぅ、なんだろうなぁ、ガリッとしたロックサウンドが、凄いよかった。
古賀徹のロックのはじまりは沢田研二だと思っております。
はい、だからそれはイコール井上堯之のギターサウンドだというふうに、よくよく考えて見ると。
そこに魅了されたからこそ、沢田研二さんを好きになったんだし。
それからの自分のこういう、すごいハードロックとかいっぱい聴くんですけれど、なんかこう、そういうロックの布石っていうのかな、小さな種っていうのをつくってくれたのが、井上堯之さんといえるような。
いやぁ、でもそれぐらいおなじみといいますか、自分のなかでは、一つの古賀徹という歴史もつくってくれているサウンドなっていうのはまちがいなくいえる。ということで、思い入れたっぷりなんですが、沢田研二さんのこの曲、カッコイイので聴いてください。
「憎みきれないろくでなし」
DJ古賀徹塾長退職惜別企画
井上堯之さん、サウンドトラックを手がけながら、同時にジュリー、沢田研二のサポートとしてバックバンドをつとめるようになる。
これも、実は日本ではじめてのことらしくて一歌手の専属としてバンドがあるっていうのは日本で始めてなんだらしいですね。ロックコンボスタイルのバックバンド。
ねぇ、私はたぶんここに魅了されたんでしょうかね。
あの、私、いろんなところで、公言しておりますが、沢田研二の大ファンなんですよ。
はい。
幼稚園のときに好きになっているんですよ。
幼稚園の頃から、勝手にしやがれとか、憎みきれないろくでなしとかをいろいろ歌っていたんですよ。意味はわからないよ(笑
幼稚園だから、歌詞の意味はわかりませんけれど、あのぅ、なんだろうなぁ、ガリッとしたロックサウンドが、凄いよかった。
古賀徹のロックのはじまりは沢田研二だと思っております。
はい、だからそれはイコール井上堯之のギターサウンドだというふうに、よくよく考えて見ると。
そこに魅了されたからこそ、沢田研二さんを好きになったんだし。
それからの自分のこういう、すごいハードロックとかいっぱい聴くんですけれど、なんかこう、そういうロックの布石っていうのかな、小さな種っていうのをつくってくれたのが、井上堯之さんといえるような。
いやぁ、でもそれぐらいおなじみといいますか、自分のなかでは、一つの古賀徹という歴史もつくってくれているサウンドなっていうのはまちがいなくいえる。ということで、思い入れたっぷりなんですが、沢田研二さんのこの曲、カッコイイので聴いてください。
「憎みきれないろくでなし」

井上堯之さんギターを擱くその2/7
FM岩手 DJジュリーファン古賀徹塾長サウンドジャーキー「走り続けた50年ミュージシャン井上堯之ギターを擱く」2/7
DJ古賀徹塾長退職惜別企画
PYG解散後、1972年7月21日午後8時
BGM~太陽にほえろ
聞こえてまいりました。この曲はみなさんもうご存知、そうあのーぅ、刑事ドラマ「太陽にほえろ」のテーマ曲ですね。
音楽業界だけにとどまらずテレビ音楽業界にも非常に影響を及ばしたなというのが、この曲なんですよ。
それまで、ドラマのBGMといえば、なんとか楽団とか、なんとかオーケストラが主流だったんですが。この日、この時からいわゆるバンドサウンドというのがはじともいえるますし。
まあ、これが井上堯之バンドの始まりだったんですよ。
このことが認められて「傷だらけの天使」「前略おふくろさま」「寺内貫太郎一家」テーマを作曲するとともに、作・編曲井上堯之がはじまったと。それ以降、テレビ、映画舞台ミュージカルなどの音楽を多数手がけて87年は映画「火宅の人」日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞することになります。
一方、「雨のアムステルダム」「アフリカの光」「太陽を盗んだ男」などなどたくさんありますよね。
BGM太陽にほえろ
ジュリーファン古賀徹塾長
DJ古賀徹塾長退職惜別企画
PYG解散後、1972年7月21日午後8時
BGM~太陽にほえろ
聞こえてまいりました。この曲はみなさんもうご存知、そうあのーぅ、刑事ドラマ「太陽にほえろ」のテーマ曲ですね。
音楽業界だけにとどまらずテレビ音楽業界にも非常に影響を及ばしたなというのが、この曲なんですよ。
それまで、ドラマのBGMといえば、なんとか楽団とか、なんとかオーケストラが主流だったんですが。この日、この時からいわゆるバンドサウンドというのがはじともいえるますし。
まあ、これが井上堯之バンドの始まりだったんですよ。
このことが認められて「傷だらけの天使」「前略おふくろさま」「寺内貫太郎一家」テーマを作曲するとともに、作・編曲井上堯之がはじまったと。それ以降、テレビ、映画舞台ミュージカルなどの音楽を多数手がけて87年は映画「火宅の人」日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞することになります。
一方、「雨のアムステルダム」「アフリカの光」「太陽を盗んだ男」などなどたくさんありますよね。
BGM太陽にほえろ
ジュリーファン古賀徹塾長
井上堯之さん特集1/7
井上堯之さん、ギターを擱く!っていう番組がFM岩手であったんだ。
DJは、古賀徹塾長。井上堯之さん、1月、引退報道の2週間後くらいだったかな。
いまさらながら、聴きなおしてました。
やっぱりお伝えしときたいと思います。
FM岩手の熱きジュリーファンのDJ古賀徹塾長の存在を知っていただくためにも。
ほんとは、熱い勢いがいいんだけど。
DJ古賀徹塾長退職惜別企画
FM岩手 DJ古賀徹塾長サウンドジャーキー「走り続けた50年ミュージシャン井上堯之ギターを擱く」1/7
PYGっていうバンドすごい憧れをもっていて、それぐらいのスーパーバンドだったのがまず一つ。
そのバンドがライヴで海外のハードロックのコピーをしていたということに、凄い興味をもっていたんで。
実は音源が全然なくって、今回デレクターの方にはじめて、その曲聴かせてもらって。
あぁ、やっぱ。勢いすごいじゃんと。
この勢い半年で終わったの凄いもったいないなぁ、と感じているんですよ。
いやあ、もっとはやく、いや、もっと俺がはやく生まれていれば、もっとPICKUPしたのにぃ。
勝手に思ってしまいました。
えーっと、そういうわけでかなり思い入れいっぱいでございますが。
えっとまず、PYGのナンバーです。「花・太陽・雨」
(これはジュリーの)
DJは、古賀徹塾長。井上堯之さん、1月、引退報道の2週間後くらいだったかな。
いまさらながら、聴きなおしてました。
やっぱりお伝えしときたいと思います。
FM岩手の熱きジュリーファンのDJ古賀徹塾長の存在を知っていただくためにも。
ほんとは、熱い勢いがいいんだけど。
DJ古賀徹塾長退職惜別企画
FM岩手 DJ古賀徹塾長サウンドジャーキー「走り続けた50年ミュージシャン井上堯之ギターを擱く」1/7
PYGっていうバンドすごい憧れをもっていて、それぐらいのスーパーバンドだったのがまず一つ。
そのバンドがライヴで海外のハードロックのコピーをしていたということに、凄い興味をもっていたんで。
実は音源が全然なくって、今回デレクターの方にはじめて、その曲聴かせてもらって。
あぁ、やっぱ。勢いすごいじゃんと。
この勢い半年で終わったの凄いもったいないなぁ、と感じているんですよ。
いやあ、もっとはやく、いや、もっと俺がはやく生まれていれば、もっとPICKUPしたのにぃ。
勝手に思ってしまいました。
えーっと、そういうわけでかなり思い入れいっぱいでございますが。
えっとまず、PYGのナンバーです。「花・太陽・雨」

(これはジュリーの)
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